震災の記憶の参 夜

日も暮れてから帰宅し、駐車場に避難していた家族と顔を合わせ、我が家の被災状況を確認してようやく一休みできる時間がやってきました。
晩飯は停電した冷蔵庫の中からチクワを出し、生野菜にみそを付けてパンと牛乳とともに食べました。
ガスも電気もなく水道もない生活の始まりでした。
ただ、この時点ではライフラインが途絶えたこの状況においてすら、比較的楽観的に考えていました。ワンセグもつながらず帰宅途中の車のラジオで断片的にしか地震の情報を把握していなかったためです。
腹ごしらえも終わり、一体どのような状況なのか、ワンセグとラジオとで地震のニュースを見始めました。大きな津波が来て、ここ宮城の町もとんでもないことになっていることはわかりますが、いまいちピンとこない。何で茨城とか千葉の映像なんだ?岩手もひどい。?????どういうこと?
妻と話をする中で、だんだんと理解し始めます。東日本の半分が地震で被害に遭ったということを
そして、地震では無事だったが、日常は瓦解して生命の危機がすぐそこにあると感じました。サバイバル生活の始まりだと本能が告げておりましたが、人間、そう長時間緊張状態を続けられるはずもなく、強烈な眠気に誘われ、車中でコクリコクリと始めましたが、狭い車内ですから、どうにも寝付けない!結局、余震の続く中一人部屋に戻り、テーブルの下に身を横たえてぐっすりと寝ました。
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by marchbrown | 2011-06-29 21:24 |