2011年 06月 25日 ( 2 )

実家の庭

血筋とは恐ろしいもので、実家の庭も密林状態なんです。
でもこっちのは我が家の自生植物、山地の植物による密林状態とは違って、園芸植物の密植によるものなんす。
こんなの含めて
f0088115_21275780.jpg

木本植物が20本近くとかやりすぎな感じなんですけどねw
[PR]

by marchbrown | 2011-06-25 21:28 |

震災の記憶

さて、心配掛けた人にも一通り顔を合わせてきたし、身辺も落ち着いてきたので記憶が風化しないうちに書き留めておくことにしましょう。
3月11日震災当日は、職場にてS波による振動を感じました。足の底からビリビリとはっきり感じる振動です。その後、強烈な縦揺れが職場を襲います。私は北海道生まれ、一番そばにいた人は広島生まれ。30秒ほどたっても揺れが収まらないので、手近な場所から外の様子を窺いに様子を見ましたが、一向に揺れは収まらず。こりゃあかんということで、一旦二人で外の駐車場に駆け出ました。
そうすると後ろから外に出るな!との怒声が!彼は宮城県人です。
地震の後に聞いたのですが、大地震の時は高層建築物の場合、揺れが収まるまで外に出ないほうが吉なんだとか。地震多発地域の人たちはやはり、訓練や教えが行き届いているようです。
しかし、我ら二人は地震の少ない地方の人間w建物につぶされるよりは外に出ようということで怒鳴られようが何だろうが一目散に飛び出しました。そして、何もない安全な広場から自分たちの居た建物を仰ぎみると、ものすごい轟音をあげて震えつつも地震に耐えている我が職場がありました。轟音の中には地響きも含まれていますが、それとともに窓枠は外れ、外壁が崩れ土煙をあげています。
一緒に出た相方は別の方角をみてオアアア、ナンジャコリャと叫んでいました。後で聞いた話によると住宅街の建屋があり得ない角度で揺れていたそうです。
そして、一旦揺れが収まります。このとき二人とも我に返ったように自分の部署に戻りました。部下に避難を促すためです。すでに使えない脱出口は外に出ていたので戻りがけに把握済みであったのが幸いしました。急いで部下を脱出させ、一通りまとめたところで今度は強烈な横揺れが襲います。職場の最上階は目測で1メートルは揺らいでいました。幸い部下も含め、職場の皆は重傷者もなく無事でした。あの一瞬の揺れの収まりがなければ確実に危ない目に遭っていたと思います、そして脱出路が把握できていたことも不幸中の幸いでした。
それにしても3月のあの日は寒い一日で、人員把握中に雪が舞ってきました。揺れを避けた後は寒さが襲ってきます。着の身着のままで逃げだしただけですから、体格の良い男たちは平気なのですが女性は震えています。災害時の生存にとって重要なことの一つに、体力の温存。特に重要なのは体温の低下をいかに防ぐかにあります。余震が続く中、後輩とともに防寒着とブルーシートの確保のため建屋に突撃します。
いや、怖いのなんのって、余震と言ってもかなりの震度と回数なので、壁がミキミキと鳴るは、崩れた棚がさらに崩れるは生きた心地がしませんでした。とは云え、本震にたえた建物ですからあれ以上大きな揺れがなければ大丈夫だろうという安心感はありました。
そして、出勤人員の確認を終えたのち、今度は家族の心配が始まります。地震直後は形態も比較的スムーズにつながったので奥方に電話しました。コール数回ののち声が聞こえて一安心、自宅にいて被災したようで車に避難中、子供も学校にいて無事とのことでした。
この時点では、ふう、ヤレヤレと安堵し、これが宮城県沖地震なのかなと、どれぐらいで復興するのかなと考えていました。このときは、その場にいたみんながこの地域の、ここら辺だけの大地震と思っていました。
[PR]

by marchbrown | 2011-06-25 21:10 |