カテゴリ:風( 31 )

酒田港

震災後初めての釣りに行ってきました。
海は濁りがきつくて坊主でしたが、久しぶりに良い気分でした。
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by marchbrown | 2011-07-03 21:37 |

久しぶりなので観光客目線

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登ってみました。
地元民は登らんですけど、いたずらしてみました。
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大通り公園は変わらずきれいです。ここに上ったのは小学生以来だと思います。この後は時計台を見に行きました。
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by marchbrown | 2011-06-30 21:01 |

震災の記憶の参 夜

日も暮れてから帰宅し、駐車場に避難していた家族と顔を合わせ、我が家の被災状況を確認してようやく一休みできる時間がやってきました。
晩飯は停電した冷蔵庫の中からチクワを出し、生野菜にみそを付けてパンと牛乳とともに食べました。
ガスも電気もなく水道もない生活の始まりでした。
ただ、この時点ではライフラインが途絶えたこの状況においてすら、比較的楽観的に考えていました。ワンセグもつながらず帰宅途中の車のラジオで断片的にしか地震の情報を把握していなかったためです。
腹ごしらえも終わり、一体どのような状況なのか、ワンセグとラジオとで地震のニュースを見始めました。大きな津波が来て、ここ宮城の町もとんでもないことになっていることはわかりますが、いまいちピンとこない。何で茨城とか千葉の映像なんだ?岩手もひどい。?????どういうこと?
妻と話をする中で、だんだんと理解し始めます。東日本の半分が地震で被害に遭ったということを
そして、地震では無事だったが、日常は瓦解して生命の危機がすぐそこにあると感じました。サバイバル生活の始まりだと本能が告げておりましたが、人間、そう長時間緊張状態を続けられるはずもなく、強烈な眠気に誘われ、車中でコクリコクリと始めましたが、狭い車内ですから、どうにも寝付けない!結局、余震の続く中一人部屋に戻り、テーブルの下に身を横たえてぐっすりと寝ました。
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by marchbrown | 2011-06-29 21:24 |

震災の記憶の弐 水槽崩壊の現場

でもって、ここら辺だけの震災と思ました。
栗原や岩手沖の時と同じにこの近辺だけの災害だと思っていた訳です。
勤務中の被災で、停電でTVも見れませんし、ラジオもありませんから情報はその場の状況しかありませんでした。取りあえず人員確認と状況確認で小一時間はかかり、その後信号交通網の麻痺があったので、順次荷物を取りに行き避難から2時間後に帰宅送迎を開始。
地震が自宅に着いたのは20時近くで、家族は車の中に布団を持ち込んで駐車場に避難していました。家人の無事を確認した後に自宅を確認します。
水槽のある部屋はビーシュリンプの30cm水槽がラックごと倒れて部屋一面にガラスと水と泥がぶちまけられた状態です。生きたエビをと思い探しましたが、暗闇の中見つけることはできませんでした。仕立てたばかりの45cm水槽は内容水の3分の2があふれた状態で、水槽本体に異常はないようですが蓋が割れて沈んでいます。中の魚たちは半分ほど水槽外で死んでいました。でも、停電でヒーターがない中、残りの魚たちもいずれ凍死するのは目に見えています。翌朝目が覚めると、ベタとヤマトを残してみな凍死していました。ヤマトは身を合わせて息を潜め、ベタは最後の力でじっと耐えていましたが、この二日後に没しました。寿命の長い人間がペットたちの死にゆく姿を見るのはしょうがないことで、私も何回か看取ってきましたが今までは少なくとも天寿を全うさせてあげられたというか、老齢で大往生という死でしたが、今回のように震災という形であっけなくも死なせてしまったことは初めての経験でした。
しかし、家人が離れ離れにならず皆無事であったことは、今回の震災において大いなる幸運でした。子と自分は津波の心配のないところで地震に遭遇しましたが、妻は地震の30分前まで名取エアリに買い物に出かけており、帰宅直前に地震に遭遇。一つ間違えば危うかったとおもいます。我らの仲間の一人も休みであったがゆえに巻き込まれたものがおり、本当に本当に危うい状況でした。
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by marchbrown | 2011-06-27 20:41 |

震災の記憶

さて、心配掛けた人にも一通り顔を合わせてきたし、身辺も落ち着いてきたので記憶が風化しないうちに書き留めておくことにしましょう。
3月11日震災当日は、職場にてS波による振動を感じました。足の底からビリビリとはっきり感じる振動です。その後、強烈な縦揺れが職場を襲います。私は北海道生まれ、一番そばにいた人は広島生まれ。30秒ほどたっても揺れが収まらないので、手近な場所から外の様子を窺いに様子を見ましたが、一向に揺れは収まらず。こりゃあかんということで、一旦二人で外の駐車場に駆け出ました。
そうすると後ろから外に出るな!との怒声が!彼は宮城県人です。
地震の後に聞いたのですが、大地震の時は高層建築物の場合、揺れが収まるまで外に出ないほうが吉なんだとか。地震多発地域の人たちはやはり、訓練や教えが行き届いているようです。
しかし、我ら二人は地震の少ない地方の人間w建物につぶされるよりは外に出ようということで怒鳴られようが何だろうが一目散に飛び出しました。そして、何もない安全な広場から自分たちの居た建物を仰ぎみると、ものすごい轟音をあげて震えつつも地震に耐えている我が職場がありました。轟音の中には地響きも含まれていますが、それとともに窓枠は外れ、外壁が崩れ土煙をあげています。
一緒に出た相方は別の方角をみてオアアア、ナンジャコリャと叫んでいました。後で聞いた話によると住宅街の建屋があり得ない角度で揺れていたそうです。
そして、一旦揺れが収まります。このとき二人とも我に返ったように自分の部署に戻りました。部下に避難を促すためです。すでに使えない脱出口は外に出ていたので戻りがけに把握済みであったのが幸いしました。急いで部下を脱出させ、一通りまとめたところで今度は強烈な横揺れが襲います。職場の最上階は目測で1メートルは揺らいでいました。幸い部下も含め、職場の皆は重傷者もなく無事でした。あの一瞬の揺れの収まりがなければ確実に危ない目に遭っていたと思います、そして脱出路が把握できていたことも不幸中の幸いでした。
それにしても3月のあの日は寒い一日で、人員把握中に雪が舞ってきました。揺れを避けた後は寒さが襲ってきます。着の身着のままで逃げだしただけですから、体格の良い男たちは平気なのですが女性は震えています。災害時の生存にとって重要なことの一つに、体力の温存。特に重要なのは体温の低下をいかに防ぐかにあります。余震が続く中、後輩とともに防寒着とブルーシートの確保のため建屋に突撃します。
いや、怖いのなんのって、余震と言ってもかなりの震度と回数なので、壁がミキミキと鳴るは、崩れた棚がさらに崩れるは生きた心地がしませんでした。とは云え、本震にたえた建物ですからあれ以上大きな揺れがなければ大丈夫だろうという安心感はありました。
そして、出勤人員の確認を終えたのち、今度は家族の心配が始まります。地震直後は形態も比較的スムーズにつながったので奥方に電話しました。コール数回ののち声が聞こえて一安心、自宅にいて被災したようで車に避難中、子供も学校にいて無事とのことでした。
この時点では、ふう、ヤレヤレと安堵し、これが宮城県沖地震なのかなと、どれぐらいで復興するのかなと考えていました。このときは、その場にいたみんながこの地域の、ここら辺だけの大地震と思っていました。
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by marchbrown | 2011-06-25 21:10 |

北海道へ飛ぼうw

何年ぶりかで北海道に帰還です。
天気はパッとしませんが着陸前に羊蹄山が見えました。
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by marchbrown | 2011-06-18 20:33 |

ランランララーン♪の八木山

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震災からの復帰は進んでいるようですね
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by marchbrown | 2011-04-30 20:50 |

引っ越し

まづわ妻子の荷物から
これから一人、寂しいやら、清々するやら
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あ、別れるとかじゃなく、単身赴任になるだけなのであしからずw
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by marchbrown | 2011-04-22 23:01 |

マンホール

3月11日の震災直後はマンホールが浮いているだけだったのに
久しぶりに見たら道路まで滅茶苦茶になっていた
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by marchbrown | 2011-04-21 08:23 |

春疾風

今日も家が揺れていた。
地震じゃなく疾風で。
ラジオで知ったが、この風、春疾風(ハルハヤテ)と云うそうな。
それにしてもすごい風だったな。
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by marchbrown | 2011-04-16 18:23 |